長野マラソン2024に参加しました。
結果は、3:19:00(ネットタイム)目標には届かなかったものの自己ベストは更新できたので、今シーズンを気持ちよく締めることができました。
備忘録として、直前練習と当日の様子を残します。
前回のフルマラソンは、さいたまマラソン2024でネットタイム3:21、ハーフマラソンは、新潟ハーフで1:27:49。
新潟ハーフの後、右ハムと両側ふくらはぎの張りが残り、怪我ではないが、ポイント練習に気乗りがしない状態。
3月30日に30キロペース走を実施、結果4:39ペースで走りきれたものの、終盤で水たまりをジャンプして越えようとした際に右ふくらはぎを攣ってしまい、状態の悪さを再確認。
その後はジョグでしのぎ、4月7日に20キロペース走を目指したものの、16キロで右ハムを攣ったためリタイア。その後のポイント練習は諦めて回復に専念することに。
4月12日針とマッサージ、筋の状態はあまり良くない様子。
長野マラソンはホテル確保が難しいとされるため、当日朝に上越妙高から新幹線で行けば良いと思っていたが、よくよく調べるとダイヤがスタートに間に合わない設定と判明。
朝4時に起きてローカル電車を乗り継ぐという方法もあったが、体力をそこで消費するのは避けたいと思い、本番2週間前にホテルを探した。
幸いなことに、直前キャンセルによるものと思われる長野市内のホテルがいくつかあり、善光寺近くのニューやまホテル(素泊まり7000円台)を確保。ホテルを品定めする数十分の間に値段が変動したり、予約可能だったホテルが消えたりしたので、同じようにキャンセル待ちのホテルを狙い撃ちしている人がいるのだろう。
前日受付のために18時台に長野到着、長野駅からビックハットまでは無料のシャトルバスが出ているので、楽ちん。ビブスをもらい、NHKのランスマの写真ブースで記念写真を撮って、長野駅に戻る。
駅ナカのはなまるうどんで素うどんとカレーライスを食べる。割と混んでいた。観光客と思われる外国の方がちらほら。
ホテルはセントラルスクエアの近くで、権堂アーケードの近く、古くからの繁華街なのでしょうか、夜の街です。名画座から漂う昭和感。
ホテルは簡素で昭和なビジネスホテル、廊下の天井が異ように低く、170cmの自分でも手が届く。部屋の扉も小さいので、不思議の国のアリスを彷彿とさせる。部屋の中は普通の和室で一晩寝る分にはなんの問題もなし。なぜか、暖房でとても暑い。トイレは謎のブランドで、東南アジア旅行しているような気分になる。便座が異ように冷たい。風呂桶が細く、シャワーを浴びるとシャワーカーテンに体が当たる。でも7000円だし、悪くない。
チェックインした後に、明日の武運を祈念するために善光寺へ。ひと気がなくて、雰囲気が良い。
明日の5-6キロ付近の登り下り、参道の石畳を予習。
翌朝は、おにぎり2個に味噌汁、バナナ1本、カステラ、黒糖わらび、アクエリアス。6時半には出ようと思っていたが、お腹の調子が整わず、6時50分までホテル。ドジャースの大谷がツーベースを打ったを見れたので、これは自分にとっての吉兆だと、暗示をかける。
長野線権堂駅から会場へ、地下にホームがあるのね。
当日は曇り空で無風、寒かったら手袋を使おうと思っていたが不要、ホッカイロもお腹に忍ばせたが、結果的には不要だった。
タンクトップにアームカバーで丁度良い。
8時5分ギリギリで荷物を預け、トイレに行ったら、整列終了のギリギリになってしまった。しかし、レース中にトイレにいかずに済んだので、直前のトイレを諦めずに良かった。
長野マラソン登録の際に3時間30以上のタイムを持っていなかったので、Eからのスタート。スタート時のタイムロスは2分10秒。
スタート直後、周囲はキロ5分ペースだったので、道路の端から抜いていき、自分の目標ペース集団を目指す。今回はサブ315を狙っていたので、4:30から4:35ペースを堅持しようと思っていた。サブ3.5の集団は早々にパス。抜きづらくもなかったので、道が広い時だっただろう。よく覚えていない。善光寺前を抜けて下りになったあたりでちょうど良さそうなペース帯の人たちと足並みが揃ってきたので、この辺にとどまることにした。
しかし、9キロ地点で、右ふくらはぎに「ワタシ、力むと攣りますよ」というわずかな電撃が走り、4:40にペースダウン。これは、後半に大撃沈、あわやのリタイヤもあるのか・・と不安が頭をよぎる。さらに、差し込みが来て腹が痛くなり、胸を張って走りづらい状況だった。
この序盤でサブ315は厳しいと判断、プランBのサブ320へ変更。
4:45までペースを落として、波が過ぎるのを待つ。蹴って走るとふくらはぎがすぐに逝ってしまう感じがあり、脚は置くだけ、ケツで走る、脚の回転で走る、というイメージを体に落とし込む。攣りませんように、攣りませんように。レースの序盤に脚を攣って止まるのだけは避けたい(恥ずかしい・・)止まるならせめて後半にしたい(同じような人が周りにいるだろうし・・)という見栄が頭をよぎる。
さらに、右足の甲が痛み出したので、お守りとしてビブスの裏に貼り付けていたロキソニンをドーピング。序盤から、不穏すぎる。
幸いなことに、差し込みは改善し、ペースも4:40で維持可能。わずかなペースの調整でも脚を長持ちさせることができるようになったのは、これまでのフルマラソンの経験が生きていると感じた。10キロ、17キロ、28キロで予定していたジェルを摂取、給水のたびに脚の前と後ろに水をかけてクーリング、身体にかけるほど暑くはなかった。
2回あるスライドで、できるだけ反対側に近いところを走り、知り合いを探す。辛さの気が紛れて時間が早く過ぎる気がする。一人とエール交換をしてテンションが上がる。
サブ4集団の後方に、ランスマの企画で走っている井上咲楽を発見し、「さくらちゃーん」と叫んだら、叫んだ反動で身体が揺れて隣の女性にぶつかってしまった。大変申し訳無いです。ごめんなさい。近くにはいれないと思い、脚のダメージを犠牲にして少しペースアップして逃げた。
時々、脚が自動で回っているような不思議な感覚があった。その時は脚が軽く感じた。
30キロ過ぎにふたこぶラクダと呼ばれるアップダウンが二回あるが、上りは使う筋肉が変わるので、力みさえしなければ脚のダメージは大きくない。心肺には響かない。下りは小股でちょこちょこ走り、一歩の衝撃をできるだけ小さくする。
38キロまでイーブンペースを維持できたが、さすがにラスト5kmは脚が重かった。攣りそうなのは両側のふくらはぎで、時々電撃が走るので「力まない、腹とケツで走る」と自分に言い聞かせた。最後はケツがビリビリし始めてペースダウン。ずっと先までランナーが見える堤防道路にも心を削られた。アミノバイタルのマスカットのような香りが段々と鼻につくようになってきた。大失速していたら、トラウマの香りになったかも。
最後の2kmは直線で見晴らしが良いため、ゴールのスタジアムが一向に近づいてる気がせず、やはり心を削られた。なんとか気力を保って、ゴール手前の公園へ。家族が応援に来てくれていたので「走ることは、生きること!」という金哲彦の金言を叫び、スタジアムに突入しゴールした。ネットタイムで3:19、脚の調子を鑑みれば、上出来。
長野マラソンは、沿道の応援が素晴らしい。活気があって、様々な団体が音楽やダンスを披露していて、飽きることがなかった。ハーフを過ぎたあたりから、サングラスを取って笑顔で応援に応えるようにしたら、応援の方とコミュニケーションを取れる機会が増えて、元気をもらえた。
ゴール後は、荷物を受け取り、着替えて、シャトルバスで篠ノ井へ移動、ローカル電車の本数が少なく、30分ほど駅で待機したのち長野駅に戻った。
来年はもっと強くなって長野マラソンに戻ってきたい、サブ310が来シーズンの目標!